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style : Pop
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幼少の頃から、車で親がよく聴いていたマドンナ,VOGUE,ABAの曲を聴いて自然にメロディーを口ずさむようになる。小学生の頃は、「鼓笛隊」に入り楽器と親しむようになり音楽を楽しむようになる。中学生になり"歌う"事に楽しさを覚え「聖歌隊」に入り、先生からの勧めでゴスペルやブラックミュージックと出会う。この頃から、海外で異文化を学びたいと考え留学を決意する。高校生になり、単身"カナダ"に留学。英語圏の中で"伝わる"歌をクラスメイトやホームステイ先で日々、披露する事になる。帰国後、進路に悩むが"歌手"になりたい!という意志は固く、この頃から本格的にボイス・トレーニングに通う。帰国して1年後、単身"東京"に上京。300人応募のシンガー・オーディションに合格し、音楽事務所に所属。日々、作曲,制作活動を行う。しかし、個人の意志で事務所を辞め新たな活動の拠点を探す。
その後、DJ FUEKISS!!(フエキッス [元:NORAトラックメーカー] )とバイリンガル・ラッパーのO.G(オージー)とのヒップホップ・ユニット「Brown Eyed Soul」を結成し、東京都内クラブ"Club Asia,Vuenos,RockWest"横浜Bridge LosaFiesta,145th等でのライヴ活動を開始。その後、ソロの活動としてクラブを中心に活動をする。この頃から、FUEKISS!!が横浜で新鋭トラックメーカーとして頭角を表したと同時に、ラッパーからのフューチュアリング・ワークス / コンピレーション・アルバムの参加要請も増えて行く。拡がりを見せた日本のウエストコースト・シーンの中で決定的だったのは2005年発売のローライダー・コンピレーション「Ready To Ride(KSR / KCCD-168)」の参加により、U - lalaの地名度も一気に上がって行く。
これを機会に横浜 / 名古屋が熱いとされるJ ・ウエッサイ ・シーンの中心人物との交流も、より活発化。「CHANGES」(愛知)「CROSS ROAD」(横浜)と言ったJ ・ウエッサイ ・シーンのビッグフェスにも参加。作品に関してもGIPPER(ジッパー)1st ALBUM "GIP'ROCK(KCCD-161 [KSR] )" "Melodyman(KCCD-212 [KSR] )"やNEECH(ニーチ)1st ALBUM "NEECH with FIZZ(KCCD-173 [KSR] )"等に続々参加。横浜から全国に飛び火している、ローライダー・シーンの盛り上がりもあり、クオリティの高い楽曲を作り続けるトラック・メーカー、アーティストを中心に確実に多くの支持、信派が広がる日本版ウエッサイ ・シーン。今、U - lalaの存在感とその傾向は、"非常にリンクして来ている"のである。
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